ヒプノセラピー(催眠療法)は、あなたが本来持っている潜在能力を一気に開花させ、あまり代わりばえのしない毎日を、最高に幸せで充実した日々へと、ガラリと変えてしまう、とても魅力的な方法です。

ヒプノセラピーは、あなたの日常生活に、人間関係に、ひいては人生に大きな変化を起こします。
そして、自分の生きる意味や使命が明確になり、生きている喜びや豊かさを心の底から、身体中に味わえるようになります。

現に、インナーアクセス ヒプノセラピースクール代表の中野日出美は、次のような体験をしました。

すぐ手術しましょう!

数年前のある日、私は、医師からそう告げられました。

4回の造影剤のCT検査で腎臓と小腸、子宮、卵巣に影があったのです。

内科医1人、外科医2人、放射線科医1人がみな同じ見解だったのです。

医師達の見解どおりだとすれば、4つの影はすでに転移によるものだろう。

そうだとすれば、私の年齢から考えてみても、進行はかなり早いと覚悟しなければならない。

「すぐ手術しましょう」という医師の言葉に私の答えは「入院はできません。ボランティアで保護している子犬がたくさんいるので」という非常識なものでした。

どの位生きられるだろう?

私に残された時間はあと何百日、何十日なのか?

当時、娘は高校生で息子は中学生だった。2人の年齢を考えたとき、あと3年くらいは母親として生きていてやりたい。

しかし、人間として最低限のことはもう教えてある。周りのサポートがあればなんとかなるだろう。

それよりも、犬達はどうしたらいいか。当時5匹の犬が我が家にはいた。

そのうちの2匹の保護を親しい友人に頼んだことが、医師の言葉を聞いて第一にした行動でした。

怖いのは自分が死ぬことではない

無理矢理、入院も手術も断り、絶対安静と大量の薬の服用と、発熱時の即刻入院を医師に約束し、家に帰った私は、誰の目にも落ち着いていた。

しかし、日一日と私の中では、不安と絶望が膨れ上がっていた。

「死」自体は、催眠療法の一つである前世療法をやっていたので、さほど怖くはなかった。

怖いのは、愛するものたちを遺して逝かなければならないことと、生きるということを燃焼しきれていないことだった。

死に直面して初めてわかったことがたくさんあった。

もし、あと3年生きられたなら・・・

あと3年生きられたなら、もし、この先元気であと3年生きられるとしたら・・・・

やりたいことや先延ばしにしてきたこと、伝えたいことが明確になった。

しかし、今となってはもう遅いのだ。せめて子供たちに愛していることを伝えよう。

そして、私がいなくなった後も、犬達ができるだけ幸せに暮らせるように手配しておこう。

その時間を確保できたことをありがたく感じた。

突然の事故や心臓発作などでは、その暇もなく別れなくてはならない。

そんなに辛いことはないだろう。

子供たちに遺言をし、犬達の手配が済み、私はとりあえず、出来る限り生きてみようと決心した。

手術でも何でも受けて、1日でも長く子供たちや犬達の側にいたい、と思ったからだ。

私が守ってあげるからね

2週間後、夕方から38度の急な発熱。手術の覚悟をしていたので、入浴をしてから救急車を呼ぼうと風呂場に入る。

今から考えるとズレていて、間が抜けている判断だ。

当然、衰弱している上に発熱している体では、体を洗うこともようやくの思いである。

洗面所で四苦八苦しているところに帰宅した娘が入ってきて手伝ってくれる。

「洋服を着終わったら救急車を呼んで」という私に「大丈夫だよ。私が守ってあげるからね。何の心配もいらないよ。」といって娘は、ぎゅうっと抱きしめてくれた。

それまで自分がずっと抱っこして、守ってきた存在であった娘が、今は反対に私を抱っこして守ってくれようとしている。

「家のことは私が全部やっておくから、お母さんは何も心配せずに治療を受けて、そして、家に帰って来て。お母さんは死なないよ。お母さんにはまだやることが残っているんでしょ。なら、死なない」

娘は涙も見せずに、私を抱き締めながら毅然と言った。

それまでも、いつも隣で寝ていた娘は、毎晩眠りにつく前、「早く、治りますように」と私の患部に手をあててくれた。

不思議なことにそうされると、体の中の火照りがすうっと引いていくような感じがした。

洗面所で娘が私を抱きしめてくれた瞬間、私は全てがわかったような、すとんと自分の深いところに何かが落ちていくような感覚を味わった。

まるで、収まるべきところに収まるべきものが、きちんとはまったような感覚である。

自分が 生まれてきた意味 というものがはっきりとした。

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