人生で迷子にならない秘訣をご存知ですか?

こんにちは!

中野日出美です。

まだまだ寒い日が続いていますが、午前中の温かな日差しは、春の気配を含んでいます。

春は、始まりの季節でもあります。

日本では新学期が4月から始まることもあり、私たち日本人の記憶の中には、さまざまな春の情景が刻まれているのではないでしょうか。

私の中の春の記憶の1つに、小学校入学の時の思い出があります。

私の家は、小学校から歩いて、15分くらいの場所にありました。

私は、ひじょうに内向的な子どもで、幼稚園でも一言も口を聞かず、とうとう半年で、退園を余儀なくされたほどでした。

そのうえ、稀に見る方向音痴でしたので、心配した母親が、入学式の1週間くらい前から毎日、家から学校までの道を、一緒に歩いて教えてくれました。

「いい? 家を出て、右に曲がると、赤いポストがあるでしょ。その前をまっすぐ歩いて、オロナミンCのポスターが見えたら、今度は左に曲がって、そして、靴屋さんの横の道に入って・・・」

というように、母は、子どもにもわかりやすく道を教えてくれた(つもり)のです。

ところが、つねにぼんやりしていた上に、外に出たとたん、右も左もわからなくなってしまう愚鈍な子どもであった私は、うん、うんとうなずいていただけで、本当はちっともわかっていませんでした。

そして、入学式の翌日、登校する時は、途中まで母が見送ってくれたので大丈夫でしたが、帰宅は1人になってしまいました。

相変わらず、少しぼんやり加減で歩いていた私は、家への道がわからなくなっていました。

必死で、母の言葉を思い出しながら、「えーっと靴屋さんを曲がって・・・ポストを探して・・・オロナミンCのおじさんは・・・」と、なんとか帰ろうとしたのですが、ポストもオロナミンCのポスターも、思いのほか、たくさんの場所にあり、どれが本物の目印かわからなくなってしまいました。

かれこれ子どもの足でぐるぐると1時間は歩いていたと思います。

母は、「もし、わからなくなったら、誰か大人の人に聞きなさない」と言っていました。

でも、子どもの頃の私は、大人どころか、自分の友達にさえ、自分から、話しかけることなど出来ませんでした。

さらには、べそをかいたり、泣いたりして、人目を引くような子ども特有のサインを出せるほどの度量も、持ち合わせていませんでした。

だから表向きは、何のことはない表情をして、淡々と足早に歩いていたことと思います。

けれども、心の中は大変です。

「お家が、わからなくなっちゃった。もう帰れないかもしれない。おしっこもしたくなっちゃった。夜になったら怖いおじさんが出てきて、どこかに連れて行かれちゃうかもしれない・・・」

と、それはもう生きるか死ぬか、くらいのストレス度合でした。

そんな時、真新しいランドセルを背負って、何度も何度も店の前を行ったり来たりするのを、不審に思った靴屋さんのおばさんが、声をかけてくれました。

「ちょっと、あなた、どうしたの?」

そう聞かれても、私は、ただ首を横に振るばかりで、何も答えることが出来ませんでした。

「道に迷っちゃったの?」

今度は簡単な質問だったので、こくんと頷くことが出来ました。

私は、靴屋さんのおばさんに連れられて、学校に戻りました。

そして、担任の先生が、母に連絡をし、慌てた母が迎えに来てくれました。

担任の先生からも注意を受けた母は、家に戻ってから、

「ほんとうに恥ずかしいったら、もう。何度も何度も道を教えたでしょうに。なんでわからないの。どうして誰かに道を聞かないの」と、ため息を何度もついていました。

思えば、これが本格的に道に迷った最初の体験でした。

その後、私は、ありとあらゆる場所で道に迷い続けました。

校内で、歯医者さんからの帰り道、デパートで、犬の散歩で(何回も)、飛行機の中で、駅構内で、ホームで・・・

そして、それは大人になった今でも、ずっと続いています。

今では開き直って、私は、空間認知能力が低いのだから、仕方ないなと思っていますが、それでも「え? こんなところでどうやって道に迷えるの?」と思われることは、しばしばです。

以前、仙台での講演から、とんぼ帰りで東京に帰らなくてはならないことがありました。

私のスーパーバイザーでもある尊敬してやまない稲垣行一郎先生が理事長を務める仙台交流分析協会で講演をさせていただき、楽しいひと時を過ごしたのです。

その後、講演会場から仙台駅までは、もちろんタクシーを使うつもりでしたので、道に迷う心配はありませんでした。

それなのに。稲垣先生と事務局長の黒田さんは、ご丁寧に仙台駅まで私を送ってくださり、その挙句、ほとんど駅のホームまで付いて来てくださいました。

まったく恐縮の至りの私に、稲垣先生は「いやー、飛行機の中でも迷子になってしまう人を見捨てられませんよ」と笑いながら、おっしゃいました。

稲垣先生は、私の失敗談を載せたメルマガを、ちゃんと読んでくださっていて、さりげなく、そして冗談交じりに、私に気を遣わせることなく、フォローしてくださったのです。

その時、私も笑っていましたが、心の中は「稲垣先生、あったかいんだから・・・」と、ポッカポッカになっていました。

押しつけがましくなく、実にさりげなく、ユーモアを交えながら、そして、スマートな心配りが出来る、そんな人が稲垣先生です。

今では、当インナーアクセスの 特別顧問 にもなっていただき、交流分析の講座も、受け持っていただいています。

稲垣先生とお会いするたびに、親密な時間を共有することができ、またすぐお会いしたいなと思ってしまいます。

そんな稲垣先生の 交流分析(TA)基礎講座 が今年も4月に開講されます。

日本に交流分析が導入される際の主要メンバーでもあり、日本の交流分析界の第一人者、重鎮でもある稲垣先生の講座をぜひ、ご受講くださいませ。

稲垣先生の温かい笑顔と包容力、そして何よりその公平さに、交流分析の真髄ともいうべき「I'm OK! You're OK!」を実感出来ることと思います。

自分以外の他者との交流の質や、自分の人生をコントロールすることの意義を知っているか、どうかで、大きく人生のベクトルの向きは変わります。

そのヒントが満載なのが、この交流分析の講座なのです。

人生には、楽しく順調なときがある一方で、辛く苦しいときもあります。

そして、心が折れて、人生という長い道のりの途中で、道に迷いそうになったとき、自分と他者との関係を客観的に見つめ直すことで、本来の自分を取り戻し、新しい一歩を踏み出す道しるべとして、とても役立つのが交流分析なのです。

また、私、中野日出美の年齢退行・インナーチャイルド療法は、交流分析の理論に基づいたセラピーです。

放課後、道に迷った小学生の頃の私と母との関係性が、どんなものだったのか、またそれが私の人生にどんな影響を及ぼしたのか・・・

大人になって、交流分析を学ぶことによって、それらが明らかになりました。

そうして、ようやく私は、自分の人生を、自分の手中に握ることが出来るようになったのです。

どうぞ、あなたも自分の人生が、どうして今、こうなっているのか、どうすればより自分らしく幸せに生きられるのかを知ってください。

もう一度、基礎からインナーチャイルド療法のベースを学びたい、自分自身の人生のベクトルの向きをちょっとだけ、もしくは大きく変えたい、もっと幸せになりたい、成功したい、人間関係を良好にしたい、と思っている方、ぜひ、この4月、この講座でお会いしましょう!

おそらく笑いあり、涙ありの深い講座になるのではないか、と思われます。

笑い皺が気になる方は、保湿をしっかりしてお越しください。

また口角をもう少し上げて、リフトアップされたい方には、うってつけです。

今から4月の講座が楽しみな

中野日出美より

詳しくは、稲垣行一郎先生による 交流分析(TA)基礎講座(2日間)【初級】 をご覧ください。