「あのう・・・とても稚拙な質問なのですが・・・伺ってもよろしいでしょうか」と、おずおずとことわってから、私は思い切って切り出しました。
「私たち人間は、何度も生まれ変わりながら、いろいろなことを学んでいくようですが・・・
たとえば、何の罪もないユダヤ人たちがあのような恐ろしい目にあったり、いくら戦争を終結させるためとはいえ、生まれたばかりの赤ん坊や子供たちまで原子爆弾の犠牲になる必要はあるのでしょうか?」
彼女は、顔色一つ変えずに、なんのためらいもなく話し出しました。
「個人的な利益ではなく、真理に、全体の利益に基づいていれば、それで正しいのです。全体の向かうべき方向に向かっているのならば、その目的に適っているといえます。
彼らの穢れなき魂の犠牲によって、後の人々はたくさんの学びを得ました。それを知るために、みんなでその方向に向かったのです。ある意味、そのエネルギーに引きづられたのです」