しかし、雌熊は雌の熊として元来備わっている母性本能の下、無償の愛を私に注ぎ続けてくれたのです。
人間の思考レベルでは、社会で生きていくための力を持たない最下層に位置するひ弱な私は、養育する者にとっては悩みの種であり、時として足手まといな存在とも考えられるかもしれません。
しかし、雌熊にとっては違いました。
雌熊にとって私は、他の動物に比べて、ただ単に余計に手間のかかる子であり、それゆえ共に過ごす時間が長く、愛着がわく存在であったのです。
雌熊は、私を育てることによって普通以上に生きる知恵を働かせることとなりました。
自分以外の存在を庇護しながら生きることは、生きる活力をおのずと高めました。雌熊にとって私の存在は、ある意味では生きるためのモチベーションとなっていたようです。
雌熊は自らの身を挺して私が生き延びるために必要なものを与えてくれたと言えます。
そんな中でも雌熊の温かい胸の感触や、慈愛に満ちたまなざし、ざらついた舌でのグルーミングは、親に捨てられた無力な1匹の生き物にとって何にも勝る生きる力となりました。
自分という存在は雌熊にとって唯一無二の存在であり、自分にとっても雌熊は絶対的に信頼できるかけがえのない存在でした。