赤面症と対人恐怖症で転職を繰り返した男性の事例

今回は、赤面症と対人恐怖症で苦しんでいた男性(32歳)の事例を、お話します。

クライアントさんのご許可を得て、ご紹介しています。

また、ご本人への配慮から、この内容の一部は事実を変更させていただいております。

孝光さん(仮名、32歳)は、個人セラピーを受けるために、何か月も待たされたにも関わらず、むしろこちらが恐縮してしまうほど、丁寧に深々と頭を下げられました。

それが私と孝光さんの初めての出会いでした。

コンピューター関係の会社に勤めている孝光さんは、2年ほど前に転職したばかりです。

しかも、それは孝光さんにとって最初の転職ではなく、すでにそれまでに3回の転職経験を持っていたのです。

それをうかがった時、かなり意外な気持ちになったことを覚えています。

01. 生真面目そうな青年

「いったい私の目の前にいる、この生真面目で、いかにも誠実そうな青年が、何度も転職を繰り返さねばならない理由とは何なのか?

もしかするととんでもない悪癖があるとか・・・

温厚そうな表情の裏側で、プッツンと切れてしまうかなり短い導火線を隠し持っているとか・・・

そんな問題でも隠し持っているのだろうか・・・」

そんな風な思いが私の頭をよぎりました。

私はあれやこれやと考えながら、カウンセリングを進めていました。

数分経った頃でしょうか、私は、はたと気づきました。

孝光さんは、私と一度も目を合わせてくれない、と。

02. 転職が多い理由

そこで、ひじょうに遠回しに、そして自然な流れを作りながら、その点について言及してみました。

「ぼくは、あのう、コミュニケーションに障害があるのではないか、とそう思うのです・・・」

「そうですか。

転職が多いのは、そのことと関係がありそうですか?」

私もあえて、孝光さんの目を避けるように、視線を工夫しつつ質問をしていきました。

「はい。あると思います・・・多分、あります。」

ちらりと私の方に目を向けながら孝光さんは、次の言葉を探しています。

そして何かの拍子に私とほんの一瞬、視線が絡んだその時、孝光さんの頬はみるみる紅潮していきました。

この時、私は孝光さんが抱えている症状のほとんどを把握しました。

ぽつりぽつりではありますが、正直に、誠実に私の質問に答えてくれる孝光さんの話と、カウンセリングでの観察から彼の抱えている問題は、赤面症と対人恐怖症であることが明確になりました。

「特に、誰、というわけではないのです。

例えば、職場の自分の目の前に席に座っている人ですとか、目の前だけではなくて斜め前に座っている人などの視線がものすごく気になるのです。

自分のことを見ているのではないか、と思われて仕方がないのです。

だんだんと自分の思い過ごしであることも多いということがわかってきてからも、だめなのです。

ただこちらの方を見られていると、何というか、嫌な気持ち・・・

怖い気持ちになるのです・・・

そうなるとすぐに顔が真っ赤になってしまって・・・

心臓がドキドキして・・・

冷や汗が出てきます」

03. 最初の会社を辞めたのはなぜ?

大学を卒業してすぐに就職した大手機械メーカーで、ある1人の先輩が、斜め向かいに座っている女性の視線に顔を赤くしている孝光さんに気づきました。

「おい畠山、おまえ、佐々木さんに気があるんじゃねえの?

顔、真っ赤じゃん」

とみんなの前で言いました。

あわてて孝光さんは

「ち、違います。そんなことはありません」

と言いましたが、顔はさらに赤くなり、汗までしたたり落ちて来ました。

それを見た同じ課の人たちは、みな大笑いしました。

翌日、孝光さんは会社を休みました。

そして、その少し後、辞職したのです。

もちろん会社の人たちは、孝光さんが先輩にからかわれ、真っ赤になったことが、辞職の理由だとは思ってもいません。

ただ、メンタルの弱い奴だからな、くらいは思っていたかもしれないと、孝光さんは言います。

「でも、本当は怖くて仕方なかったのです。

別に佐々木さんのことが好きだったわけではありませんし、仕事自体が嫌だったわけでもないのです。

ただ、自分はきっとまた佐々木さんに限らず、誰かが自分のことを見ていると思っただけで、真っ赤になって、そして怖くなってしまうということがわかっていたので・・・

だから、また何度もそれをからかわれたら・・・

何て言えばいいのか、わからなくて・・・

それで辞めました・・・」

それからも、孝光さんは、長短はあるにせよ、似たような状況を怖れ、そのうちに会社に行くこと自体が怖くなり、会社を辞めてしまう、ということを繰り返しました。

こんな自分は精神的にどこかおかしいのだろうと思い、孝光さんは精神科も受診し、投薬も受けました。

薬を飲むと少し気持ちは楽になりました。

でも、頭がぼんやりして、ふらついたりするので、薬を飲み続けることに抵抗を感じるようになりました。

また、薬を飲んでいる間も、相変わらず、誰かに見られているかもしれないと思うと、体が強張り、怖くなってしまうのです。

04. 生い立ちを聴くカウンセリング

私は、孝光さんが抱えている問題の原因を突き止めるために、会社に就職する以前の孝光さんの履歴を、お聞きしていきました。

孝光さんは、三人兄弟の長男して生まれました。

町工場に勤務する父と母、そして2歳年下の妹、4歳年下の弟の5人家族の中で育ちました。

家はお父さんの勤務する工場の近くの賃貸の平屋の二戸建です。

小さな台所が備え付けられた小さな茶の間の他に、6畳と4畳半の2間が付いている古い家でした。

孝光さんは、その家を、今でもはっきり覚えています。

孝光さんが小学校の低学年頃までの記憶の1つは次のようなものでした。

夕刻のサイレンが町中に響き渡ると・・・

「ほら、お父さんが帰って来るからね。早く片づけなさい」

と子どもたちを急かしているお母さんの姿や声があります。

そうすると、それまで楽しかった家中の雰囲気が一変して、急に緊張した空気が流れます。

まだ物心もつかない3人の子ども達もあわてて、そこいらにあるおもちゃや、雑貨をしまい出します。

また記憶の中の夕食の場面は、いつも、お通夜の席のように静まり返ってちゃぶ台を囲んでいるところから始まりました。

そして、最後には、お父さんの怒鳴り声、お母さんの泣き声、お茶碗やグラスの擦れる音で終わります。

05. お酒が入ると豹変する父親

孝光さんのお父さんは、酒乱でした。

お酒さえ飲まなければ、まるで借りて来た猫のように、おとなしく無口な人なのです。

しかし、いったんお酒が入ると、まるで人が変わったかのように豹変します。

たわいもないことで、お母さんに文句をつけ始めます。

酒をちびちびやりながら、グチグチと言葉でお母さんを痛めつけます。

お母さんが何か言い返そうものならば、それを待ってましたかとばかりに、茶碗を投げつけたり、お母さんを叩いたりします。

そうなると、しばらくの間は治まりません。

さんざん、暴れて疲れ果てて、ようやくお父さんは大人しく寝始めます。

お酒を飲んでいない時には、お父さんはお母さんに何度も「もう二度としない。もう酒は止める」と言います。

しかし、その舌の根が乾かぬうちに、お父さんは酒を手にします。

06. 子どもたちを連れて家を出た母

そんなお父さんに愛想がつきたお母さんは、ある日、小学3年生の孝光君と妹と弟を連れて、家を出ました。

お母さんは、子ども達3人を連れて、自分の兄の家に身を寄せました。

お母さんのお兄さんは、新聞の販売店をやっています。

お兄さん夫婦にも、小学6年生の娘と4年生の息子がおり、奥さんは販売店を手伝っていました。

妹思いの伯父さんは、それまでお母さんが、さんざん酷い目に遭ってきたのを知っていたので、温かく4人を迎えてくれました。

そして、お父さんは何度も何度もお兄さんに家にやって来て、お母さんに謝り、家に戻って来てくれるように頼みましたが、お母さんの気持ちは変わりません。

そんな決心の固いお母さんを見たお父さんは、ある日、酒を飲んでやって来ました。

「この! 強情女が!」

と、お母さんを叩きつけ、床に転んだお母さんの髪の毛を掴み、引っ張り始めました。

伯父さんの販売店の近所の人たちが、その騒動を聞きつけ、わらわらと外へ出てきました。

07. 狭い路地で怒鳴り合う父と伯父

ふだんは大人しい伯父さんも、お父さんの妹への仕打ちに対して、堪忍袋の緒が切れたかのように、激しい口調で怒鳴っています。

そんな大人たちの様子を、孝光さんや妹、弟、それから6年生と4年生の2人の従妹たちも、怯えた表情で戸口の影から見ています。

狭い路地のあちら側には、酒に酔ったお父さん、そしてこちら側には泣いて興奮しているお母さんと伯父さん、そして伯父さんの奥さんが立っています。

さらには、そんな4人を近所の大人や子ども達までもが、まるで芝居見物でもしているかのような表情で取り巻いています。

ともすれば、お父さんと伯父さんは、取っ組み合いの喧嘩でも始めそうな勢いです。

伯父さんは大きな声で言いました。

「離婚だ、離婚! 酒乱のお前には女房、子どもなんて育てられない!」

すると、近所の野次馬達が「そうだ、そうだ!」と言います。

「うるせえ!誰がお前のクソ妹なんか、いるもんか! 俺の子どもを返しやがれ!」

と、お父さんは言いました。

するとまた、野次馬たちが

「それもそうだ! 子どもは母親だけのもんじゃないわなあ」

と言います。

それに力を得たかのように

「おうよ! 腐れ女なんぞいらねえや! 俺の子どもを返しやがれ!」

とお父さんは言います。

おそらくお父さんは、酔った頭であっても、子ども達さえ戻れば、お母さんもたまらずに一緒に戻って来る、と踏んでいたのでしょう。

そこに伯父さんが言いました。

「何を言ってやがる。子どもなんて、お前に育てられるわけはないだろう! 帰れ、帰れ!」

08. 伯父も黙り込む伯母の本音

その時、今まで一言も口を開かなかった伯母さんが、冷静な声で話し始めました。

「ねえ、ちょっと、あんた、美智子さん(お母さんの名前)だって女手1つじゃあ、とってもじゃないけど、3人の子どもを育てるなんて無理よ。

それに家だって・・・

言いたくはないけど、4人で暮らすのだって狭いような家よ。

自分の子どもに食べさせるのだって、精一杯っていうのが、本音だわよ。

美智子さんだけならまだしも、3人の子どもまで、家で面倒みるのは無理だわ。

ごめんなさいよ、美智子さん・・・

でも、家も大変なのよ・・・」

それを聞いた伯父さんは、

「お前ってやつは! 何を言ってる? 俺の妹と甥っ子たちだぞ・・・」

といきり立ちました。

伯母さんは、真っ赤な顔を横に向けて、伯父さんと目を合わせようとはせずに、こう言いました。

「そんなこと言ったって、あんた。

自分の子どもに満足に食べさせたり、着させたりもしてやれないのに・・・

いくらあんたの妹の子だからって、うちの子どもに我慢させるなんて、私は嫌ですよ」

伯父さんは、その言葉を聞いて、ぐっと黙り込んでしまいました。

野次馬達は、ガヤガヤと、思い思いのことを、勝手に話し始めました。

09. 1人ずつ選ぼうじゃないの!

すると、お母さんが、泣きはらした鬼のような形相で、つかつかと後ろにいた孝光君と妹の手を掴んで、道路の真ん中に引っ張り出しました。

妹は泣いています。

両手に息子と娘を携えながら、お母さんは、大きな声で言いました。

「ほら、あんた、1人ずつ選ぼうじゃないの!

ヨシ坊(末っ子)はまだ小さいから、私じゃないとダメよ。

でもこの子たちなら大きいから、あんたでも何とかなるでしょうよ。

ほら、どうする? え?」

孝光君には何が起きているのか理解出来ませんでした。

この世で、もはやたった1人の頼みの綱であるお母さんが、何を言っているのか、わかりませんでした。

そしてさらには、

「え? どうするの? 選べないの?

なら、私が選ぶわよ。私はこの子よ」

お母さんは、片手の子どもを、自分の後ろに引っ張りました。

そして、もう片手に握っていた小さな手の1つを、ぽんっと離して、その小さな背中を前に押しやりました。

もはや、野次馬たちでさえも、誰一人として口を開く者はおらず、辺りは静まり返っています。

電信柱の笠の下の無数の小さな虫たちのせわしない動きだけが、今や、この時間が動いていることの唯一の証明であるかのようです。

路地の真ん中にいきなり放り出されたのは、孝光君でした。

「ほら、孝光を連れて行きなさいよ! ほら!」

憎しみを込めた視線と共に、お母さんは、孝光君を差し出しました。

すると、お父さんは、

「うるせえ! 

孝光はお前にやるわ!

俺が欲しいのは佐知子だ。

さあ、佐知子、来い!

お父さんと家に帰るぞ。ほら」

お父さんは、孝光君を押しのけ、妹の佐知子ちゃんのそばに、にじり寄ろうとしました。

「だめよ。だめ!

佐知子は、たった1人の娘なんだから。あげないよ。

孝光を連れて行けって、言ってるじゃないの!」

「うるせえ!

俺だって、孝光はいらねえや。

佐知子を寄こせ!」

しばらくの間、お父さんとお母さんは、佐知子ちゃんを巡って、怒鳴り合いました。

そうこうしている間に、ようやく正気を取り戻した伯父さんが、歩み出て来ました。

「バカ! 何をやってるんだ、お前たちは!

とりあえず家に入れ!」

と言って、みんなを家の中に入れました。

結局、そのあと、大人たちの間で、どんなやりとりがあったのかは、孝光さんは覚えていません。

10. 言葉にもならない心の痛み

最終的に、孝光さん兄弟は3人共、お母さんに引き取られることになりました。

市営住宅に引っ越し、とりあえずは生活保護を受け、少しずつ、お母さんは働きに出るようになりました。

お父さんは、その後もお母さんに何度も復縁を迫りましたが、お母さんの気持ちは、変わることはありませんでした。

その後、お母さんと孝光君たち兄弟の生活は、少しずつ落ち着きを取り戻していきました。

カウンセリングを終えた後、最初のセラピーには、年齢退行療法を選びました。

そして、小学校3年生の時の路地芝居のような場面へと退行させ、じっくりと時間をかけて、イメージを再構成していくと共に、抑圧された感情や感覚の蓋を開けて行きました。

両親から人前で「いらない」と言われた孝光君の心がどれだけ傷付いたか、あなたは想像できるでしょうか?

言葉にすらできなかった悲痛な心の叫びが、あなたには聞こえたでしょうか?

その心の痛みを感じることができますか?


年齢退行療法は、このように傷つけられた心の痛みを受け止め、その傷を癒していくセラピーです。

人の心、特に傷付いた心は、とてもデリケートなものです。

セラピストは、神経を研ぎ澄まし、細心の注意を払って、セラピーを行っていきます。

これができるようになるには、高度で専門的なトレーニングを、十分な期間、受ける必要があります。

年齢退行療法は、ヒプノセラピーの中でも、最も習得するのが難しいセラピーの一つです。

最近は、日本でも、ヒプノセラピーを教えるところが増えています。

しかし、その大部分が、この年齢退行療法のトレーニングを数日間で行っているのが、現状です。

そのような十分なトレーニングを受けていない未熟なセラピストが、もし、この孝光君のケースを扱ったとしたら・・・

不適切なセラピーをして、傷付いた心をさらに傷付けてしまい、もっと悪化させる懸念もあるのです。

もし、退行療法を受けたり、学んだりする場合は、そのセラピストや講師が、退行療法ができる十分なトレーニングを受けているかを確認しましょう。

もし、修了証や認定証を掲げていても、それらを取得するために受けたトレーニングの質と量が十分でなければ、あまり意味がありません。

また、厳しいことを言うようですが、トレーニングを受けていても、実際に退行療法ができるとは、限りません。

ヒプノセラピストは、人の心と人生に深くかかわる仕事であることを自覚し、十分なトレーニングを積む必要があります。

クライアントさんが安心できるセラピーを提供できるセラピストや講師から、セラピーを受けたり、学んだりしていただきたいと思います。

さらに詳しくは、「退行療法・インナーチャイルド療法 資格取得の注意点」をご覧ください。

さらに2回目のセッションでも、年齢退行療法を、もう一度行いました。

そして3回目のセッションでは、前世療法をすることにしました。

11. 潜伏キリシタンの少女

以下、前世療法の風景です。

これまでに2回の年齢退行療法を体験し、催眠に入るのが上手になっている孝光さんは、今まで以上に深い催眠状態へと入っていきました。

「ああ・・・恥ずかしい。

私は自分が恥ずかしい・・・

ああ、嫌だ、嫌だ・・・」

前世に入った途端、彼はこのように嘆き出しました。

そして、いくら私が、何がどのように恥ずかしいのかを、聞き出そうとしても、この前世の人格は、顔を両手で覆って、首を振り続けるばかりです。

そこで、さらに、この前世の中での時間を、過去に戻すことにしました。

「・・・ここは・・・

暗い場所です・・・

湿っているような・・・

ああ、洞窟です・・・

私は今、10歳。

名前はカノです。

ろうそくの焔が見えます。

大人たちもいます。

赤ん坊もいます・・・

私は・・・

座っている・・・

いいえ、ひざまづいています・・・

祈っています。

マリア様に。

みんなも同じです。

小さなマリア様の像が、岩の上に置かれています。

そして、そのおみ足下には、十字架が置かれています・・・

え?

あ、はい。私は日本人です・・・

この島で産まれました。

お父さんとお母さんと私と弟、それからお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが私の家族。

みんなクリスチャンです。

私が産まれるずっと前から、イエス様を信仰しています。

島の皆もイエス様を信じています。

だからみんな祈ります。

死んだ後、パラ・・・パラ・・・天国に行けるようにと・・・」

私は、この瞬間、カノというこの少女が置かれている環境を悟りました。

カノは、天国という言葉を言い表そうとして、何度か、パラ・・・パラ・・・と言い淀みました。

私は、カノが言いたかったのは、パライソという言葉ではなかったのか、と推察しました。

パライソというのは、たしか幕末前後の長崎で、政府から宗教弾圧を受けた潜伏キリシタンたちが使っていた言葉だったような気がしたのです。

そこでいくつか、さらにカノに質問をしたところ、やはりカノの家族や仲間は、潜伏キリシタンたちであることが、判明しました。

1549年に、フランシスコ・ザビエルが布教を初めて以来、クリスチャンは増えていきました。

その後、徳川家康により出された禁教令により、徹底したクリスチャンへの弾圧が行われました。

しかし、いくら棄教をうながして、も決して仏教への改宗を受け容れなかった人々に向け、政府は脅迫や拷問などを行い出しました。

そこで、強い信仰心を持つ人々は、表向きは仏教に改宗したかのように見せかけ、実際には、ひっそりとキリスト教を信仰するようになりました。

そんな彼らのことを、潜伏キリシタンと言います。

カノの家族や島の仲間たちも、そんな潜伏キリシタン達だったのです。

「この洞窟は私たちにとっては、礼拝堂です。

マリア様の像は、まるで観音様のように作られたものです。

それは、本当のマリア様の像では、すぐに侍様たちにばれてしまうからです。

だから、まるで観音様のように見えるマリア様の像を、みんなで祈っているのです。

マリア様の像は、イエス様を抱いておられる・・・」

カノは、そのマリア像をうっとりと見つめています。

12. カノの心配事

カノは言います。

「お祖母ちゃんは、いつも言っています。

絶対に、イエス様を信じていれば、間違いないと。

決して、裏切ってはいけないと。

神様は、すべてをお見通しなのだから、神の教えを信じて、そして祈ることが大事なのです。

そうすれば、私たちは必ず天国に行けます。

いくら、この人生が苦しくても、お腹が空いても、病気になっても、いじめられても、死んだら天国に行けるのです。

天国に行ってからの時間の方がずっと長いのですから、天国にいくための人生なのです。

今の人生は。

神様は、そんな私たちをいつも見守っていてくださります」

カノは、ゆるぎない態度と口調で、神を信じる大切さを、話してくれました。

しかし、私が何か心配事はないのかと質問した時、カノはちょっと口ごもりました。

「心配ではないのですが・・・

でも、でも、お役人さんが来て、隣村の人のように、私たちに神を捨てろと脅したら・・・

怖いのです、ちょっと」

明らかにカノの表情に、曇りが見えます。

「そうなの。隣村の人たちは、どうなったの?」

「よくわかりませんが、踏み絵をさせられたそうです。

イエス様の絵を踏めたら、信仰を捨てた、という証拠になるのです。

だから、私たちにもそれをさせるかもしれません」

「なるほど。もし、それをさせられたら、カノはどうするの?」

「私は、絶対に踏みません。

そんなことは出来ません。

でも、でも、まだ5歳の良太は・・・

踏んでしまうかもしれない。

だから、私は心配で、心配で、仕方ありません。

毎晩、私は、良太に言い聞かせています。

絶対に、イエス様の絵に足を置いてはいけないと。

良太は、素直にうんと言っていますが、でも、ちゃんとわかっているか、どうか、心配です」

「そうか・・・

でも、カノ、もしも良太君が、イエス様の絵を踏まなかったら、どうなるの?」

私は、踏み絵による検閲の結果、棄教しなかった信者たちが、大変な迫害を受けたことを知っていました。

それで、思わずカノに問いかけてしまったのです。

そんな私の質問に対して、カノは、まるで当たり前のことを話すかのように答えました。

「天国に行けます」と。

強硬な宗教弾圧の中、ひっそりとキリスト教を信仰する島に暮らす少女カノは、絶対的な信仰心こそが、天国へ行けるたった1つの道であると、頑なに信じています。

13. 踏み絵で捕縛される島民たち

そんなある日、カノが心配していた検閲が始まりました。

カノたち島の人々は、取り調べにも使われるお役人様のお屋敷に集められました。

大広間の真ん中には、イエス様が磔にされた絵が置かれていました。

島民たちは、順番にその絵を踏むように言われます。

信仰心の篤い信者たちは、イエス様の絵の前まで来ると、胸に十字を切りました。

指先で自分の口元に触れ、その指で恭しく、イエス様のお姿に触れました。

そして、その後、自分から両手を前に差し出し、捕縛されました。

役人たちは、怒り狂いました。

「踏め、踏め!

踏まんと、酷い目に遭わせてでも、いずれ転ばせてやるぞ」

と言いました。

転ぶとは、棄教することを言います。

しかし、いくら脅されても信者たちは、静かに目を伏せて、心の中の神に祈りを捧げ続けました。

信者たちは、このような時が訪れることを予期していました。

そして、皆で万が一にでも、転ぶことがないように励まし合いました。

転ぶ、つまり信仰を捨てることは、自分の魂を売ることと同意義だったのです。

信仰は喰うや喰わずの貧しい現世の生活の中で、唯一生きる指針であり、天国で豊かで憂いのない生活を保障してくれるものでした。

魂の髄にまで深く清い信仰心が根付いている島の人々にとっては、イエス様のお姿を踏むことは、これまでの全てを捨てるに等しい恐ろしいことだったのです。

また信者にとっては、イエス様の磔刑と、我が身を置き換えて、神から受け賜る受難として、この試練を静かに受け入れたという背景もあったことでしょう。

しかし、信者たちすべてが、そのように最後まで強い信念の下、信仰心を持ち続けられていたわけではありませんでした。

なかには、震える足で、イエス様の絵を嗚咽しながら、踏んだ者も沢山いました。

脅された恐怖から、またわが子の安全と引き換えに、わが親の命と引き換えに、内臓を引きちぎられるような思いで、転んだ者たちがいたのです。

彼らたちは、裏切り者、ユダ、などと呼ばれ、信者たちからは蔑まれました。

どのような理由にせよ、今まで心から信じていた信仰をわが恐怖心から手放した者たちは、たしかに棄教したことによって、脅かされずに済みました。

しかし、その心内は、さまざまな混乱の渦が渦巻いていました。

自分を恥じる気持ちと、棄教したことによる恐怖、生きるよすがを失った不安、仲間内からの軽蔑、それらすべてと引き換えに、彼らは一時の安全を手にしたのです。

そして、今、カノの両親の順番が回って来ました。

カノのお父さんもお母さんも、イエス様の絵の前に静かにひざまづき、十字を切り、祈りを唱えました。

そして、お役人に引っ立てられるように、連れ去られました。

カノのお母さんは、連れ去られる直前、カノの目をしっかりと見つめ、小さく頷きました。

カノもお母さんの目を見つめ、微かに頷き返しました。

14. 受難のはじまり

お役人は、まだ小さな子どもであっても、

「悪い芽は、早いうちに摘んでおかねばならん」

と言って、踏み絵をさせました。

多くの子どもたちは、ためらいながらも、イエス様の上に、小さな足を乗せることが出来ました。

しかし、中には依然として、どんなに脅しつけられようと、イエス様の絵の前にひざまづき、口の中でブツブツと、祈りの言葉を唱え続ける子どももいました。

そう、カノのように。

カノは、お母さんと約束したとおり、どんなにお役人様に怒鳴りつけられても、決してイエス様に足をかけることはしませんでした。

しかし、実際には、カノの小さな心は、芯から怯え、震えていました。

それでも、神様が必ずや私たちを見ていてくださる。必ずやお助けくださると信じて、頑張り続けたのです。

こうして、まだ幼い少女であるカノも転ばなかった大人同様、牢屋に入れられました。

幸いなことに良太は、踏み絵をせずに済みました。

仏教徒である島の人の元に引き取られていったのです。

それからが、カノにとって、真の受難のはじまりであったことは、カノはこの時、知る由もありませんでした。

転ばなかった切支丹たちは、古いお倉を改装した地下牢のような所に閉じ込められました。

石と土で出来たその地下牢は、じめじめとして薄暗く、うすら寒い場所でした。

カノの入れられた牢は、女性牢です。

ほとんどが大人たちでしたが、中にはカノのように小さな子ども達もいます。

もう冬に近い秋に捕縛されたカノたちには、これから我が身に起こることへの不安と共に、体の芯まで凍らせる夜明け前の寒さが、突き刺さります。

お母さんは、カノの小さい体をしっかりと後ろから抱き、両手でカノの両手を包み込んでくれました。

痛いような寒さの中、信者たちは、ただひたすら神様に祈りを捧げます。

「神は、我らのことを見ていてくださる。必ずやお助けくださる」

カノは、皆の祈りの声を聞いていると、心に深いやすらぎを感じました。

そして、こんな所にいつまでも神様が、私たちを閉じ込めておくわけはないと思いました。

「明日になったら、きっと家に帰って、いつものようにみんなで晩御飯を食べられるだろう。

婆さまやお父さん、良太と一緒に・・・

ああ、あったかい味噌汁が飲みたいなあ・・・」

カノはお母さんのぬくもりの中で、うつらうつらとし始めました。

15. 子どもとはいえ容赦はせぬぞ

翌日、夜明けと共にお役人様がやって来て、

「おい、転ぶものはおらんか!

今ならすぐに解放され、家に帰ることが許されるぞ。

そうしなければ後悔するぞ。

おい、そこの母親!」

お役人はカノのお母さんを指さしながら言いました。

「おまえ、母親のくせに、まだ小さな娘を犠牲にする気か?

お上は、何としても、お前たちを転ばせるのだぞ!

子どもとはいえ、容赦はせぬのだぞ。

今なら間に合う。

さっさと転んで、娘を連れて家に帰るのだ!」

このお役人にも、カノと同じ年齢くらいの娘がいました。

カノに、これから起こることを知っているお役人は、自分の娘とカノをだぶらせ、いたたまれない気持ちになったのでした。

しかし、お母さんは、お役人の目をしっかりと見つめながら、大きく首を振り、カノの体を抱き寄せました。

そして「大丈夫だよ。大丈夫だよ。カノ、神様がきっとお守りくださるからね」と言いました。

お母さんの言葉に、こくんと頷き、カノはお母さんの着物を、ぎゅっと握りしめました。

カノたち信者は、後ろ手でみな一列に縛られ、外に出されました。

すっかり暗い場所に目が慣れていたカノは、外の明るい日差しにしっかりと目を開けることが出来ませんでした。

しかし、大人たちの「ひいっ」という息を飲む声に、カノの胸はどきんとして、その瞬間、目がぱっちりと開きました。

そこには、驚くべき光景がありました。

16. なんてむごいことを・・・

捕縛された時に、分別された男性信者たちの一部の人が、ふんどし一枚の姿で、石の上に正座させられていました。

そして、その男性たちの膝の上には、四角く切られた大きな石が乗せられています。

男たちは後ろ手で縛られ、身動きができないようになっています。

昨夜からずっとそのお仕置きは行われており、男たちの顔色は蒼ざめ、中には泡を吹いて失神している者もいます。

それでも決して石は下ろされることなく、失神して間もなく、冷たい水をざっぱりと頭からかけられ、また男にとっては、地獄の時間が始まるのです。

この男たちは、手初めの見せしめに使われていたのです。

女の信者たちの中には、彼らの奥さんや娘さんがおり、

「あんたあー・・・」

「父ちゃん・・・ううう・・・」

とむせび泣く声があちらこちらから聞こえ始めました。

「なんてむごいことをするものだ・・・」

カノのお母さんは、必死で祈りを捧げ始めました。

そうしていると、ある1人の女性が

「やめてくだせえ! やめてくだせえ! 

お役人様、あたしら夫婦は転びます。

転びますから、あの人を助けてくだせえ!」

と懇願しました。

年老いた夫が失神しているのを見た妻は、もう耐えきれずに棄教することを申し出たのです。

すると、お役人たちは、その女の夫のそばに近寄り、耳のそばで何かを囁きました。

そして、2人がかりで重い石を男の膝から下ろし、男の縄をほどいてやりました。

妻は夫のそばに走り寄り、むせび泣きました。

カノは、自分の足が震えていることに気づきませんでした。

しかし、ほとんどの信者たちは、祈りを捧げるだけで、転びませんでした。

その日はカノたちは、男性信者たちへの仕打ちを、見せられただけでした。

ある者は、何度も、何度も、板で叩きつけられていました。

またある者は、穴の中に逆さ吊りにされていました。彼らは耳に小さな穴を開けられ、そこから少しずつ血が落ちていっていました。

一滴、一滴と。

そうすることにより、血が一気に頭に貯まらず、急死を避けることができます。

つまり、一気に苦しませるのではなく、苦しませる時間を少しでも延ばせるような工夫なのです。

また、ある者は、冷たい海の中に打ち立てられた杭に縛りつけられました。

そして、潮の満ち引きのたびに、苦痛を味わいました。

17. 信仰を捨てた少年

さらに、ある12歳の少年は、両手を拡げさせられ、転ぶというまで、何度も焼きごてをあてられました。

その少年は、あまりの痛みに失神し、失禁しました。

それでも許してはもらえず、冷たい水を浴びせられ、意識を取り戻させては、また何度も同じ苦痛を与えます。

少年は、何度目かの苦痛の後、

「やめてくだせえ!

もう・・・

もう・・・

お許しください、イエス様・・・

ぼくは信仰を捨てます・・・」

と小さな声で呟きました。

カノは、自分よりも2歳年上のその少年のことを知っていました。

彼は誰よりも勇気があり、年下の子の面倒をよくみる信仰心の篤い少年でした。

その彼が、目の前で拷問を受け、屈辱と痛みに耐えかね、信仰を捨てたことに、大きなショックを受けました。

少年の母親は、カノたちと同じ女性牢に入れられていました。

その母親の前で、少年は拷問を受けたのです。

母親は、自分の息子が残虐な仕打ちを受けているのを見ておられず、

「ああ、神よ。お助けください・・・」

と心からの祈りを天に授けました。

しかし、息子が信仰を捨てずに、3度めの焼きごてを両手にあてられた時でした。

「三郎太! 

捨てなさい! 捨てていいよ! 

三郎太あ・・・

もう、いいよ・・・ううう・・・」

(実際にはその地方の方言と思われる言語でした)

と泣き崩れました。

その母の声が聞こえたのか、三郎太という少年は、信仰を捨てたのでした。

カノや他の女性信者たちは、声を出すことさえ、出来ませんでした。

次々と女性信者たちは、男性信者たちが拷問を受ける姿を見せつけられました。

自分の夫や父親、息子が、残虐な目に遭わされているのを、目の当たりにした女たちの中には、少しずつ信仰を捨てる者が、現れ出しました。

18. 目から大粒の涙が・・・

そんなある日、石牢から外に出されたカノは、自分の目を疑いました。

ついに、カノのお父さんが、冷たい海の中に磔にされていたのです。

波が引くたびに、ぐったりと、まるでボロぞうきんのようになった、お父さんの体が見えます。

頭は、うな垂れていますが、波が高くなると、水はお父さんの鼻の上の方まで来ます。

そのたびに、お父さんは、首をせいっぱい伸ばして、なんとか息を吸いこもうとしています。

大きく見開かれたカノの目からは、ボタッボタッと大粒の涙が流れました。

お母さんは、そんなカノの目を、後ろから両手でまるで目隠しをするように覆いました。

「カノ、お父さんは、神さまと今、お話していらっしゃるよ。

カノも頑張らないといけんよ・・・」

そう言ったお母さんの手は、ブルブルと震えていました。

カノのお父さんは、翌日も海の中に磔にされたままでした。

しかし、お父さんの両側に磔にされていた男の人たちは2人共、いなくなっていました。

お父さんの右側に磔にされていたのは、近所に住んでいたカノの友達のお祖父ちゃんでした。

カノが遊びに行くといつも、焼き芋をくれたり、竹とんぼを作ってくれたりして、可愛がってくれました。

「ああ・・・神よ。

たけ爺さまを思し召しください・・・」

大人の女たちは、みな、胸に十字を切り、神に祈りを捧げていました。

カノは、優しかったあのお祖父ちゃんが、亡くなったことを知りました。

目をつぶり、胸で十字を切り、祈りを捧げていると、カノ達の方を見て、ちょっとおどけた顔をして見せながら、竹とんぼを高く飛ばしたおじいちゃんが思いだされました。

カノのお父さんの左側にいたのは、三軒隣の幹朗お兄ちゃんでした。

いつも元気で、親思いの働き者でした。

もしかして、あの幹朗お兄ちゃんも、神に召されてしまったのだろうか、とカノは思いました。

「幹郎のやつ、転んだらしいよ。

愚かなことよ・・・

神よ、どうぞお許しください・・・

ったく・・・どの面下げて、神を裏切れたものかね・・・

地獄行きが、先延ばしになっただけだというに・・・」

女たちは口々に棄教して、磔から降ろされた幹朗お兄ちゃんのことを、裏切り者だと罵っています。

カノは、あの幹朗お兄ちゃんが、地獄へ落ちることを想像し、胸が痛くなりました。

そして、心から深く神に祈りました。

「イエス様、どうか、どうか、お父さんをお救いください。

お父さんは、昔から腰も足も弱いのです。

それでも、必死に働いて、私たちを育ててくれました。

どうか、どうか、お父さんを、一刻も早くお救いください。

お父さんの腰も、足も、きっとものすごく病んでいることと思います」

カノはいまだ、灰色の海の中、十字架に括りつけられ、うな垂れているお父さんの姿を、直視することが出来ませんでした。

夜になっても、カノは冷たく湿った石牢の中で、カノとお母さんは祈り続けました。

しかし、その翌日のことでした。

カノのお父さんは、海の冷たさに耐えきれず、とうとう息絶えました。

亡くなって、ようやく磔から解放された、カノのお父さんの亡骸は、ゴザの上に置かれ、見せしめのために、皆の前にさらされていました。

命の光を失ったお父さんの体は、グンニャりとして、すっかりとふやけていました。

どこもかしこもが、ぶよぶよしていました。

顔も、体も、すべてが、どす黒い紫色になっていました。

いつも、少しまぶしそうな目と、口角を上げた口元から白い歯をのぞかせ、カノの頭をポンポンと優しく叩いてくれた、あのお父さんが、今やまるで海の腐敗物のような姿に、変わり果てていました。

19. 悪い夢なんだ

カノは、まるで夢を見ているような気持ちになりました。

「これは何か悪い夢なんだ。

そうだ、私は時々、こんな風に怖い夢を見たものだ」

怖い夢を見て、泣きながら起きると、お父さんが、カノ、また怖い夢を見たのか? こっちへ来いや、と言って、カノを布団に入れてくれるのです。

カノは、早く目覚めなくては、と思いました。

早く目覚めて、こんなに怖い夢を見たよと、お父さんに知らせなくては、と。

その時です。

隣から、お母さんの絞り出すようなうめき声が聞こえてきました。

「ぐぐぐ・・・

ううう・・・

あんた・・・

ああ・・・・」

まるで動物の鳴き声のような、泣き声ともつかない、まさにうめき声です。

これまで、気丈に振る舞っていたカノのお母さんは、まるで糸が切れたかのようにうめき、そして苦しみ出しました。

夫を失った悲しみは、もはや痛みとなって、カノのお母さんに憑りついたのです。

カノは、これは夢ではないのだと、はっきりと自覚しました。

「イエス様、なぜですか?

なぜ、こんなことを私たちにされるのですか?

どうか、どうか、もうお許しください。

お助けください。

もう十分ではないですか・・・」

カノは、また心から祈りました。

カノに出来ることは、それしかありませんでした。

ところが神から与えられし試練は、それだけでは済みませんでした。

翌日から、カノたちが入れられている石牢の女たちの拷問が始まりました。

カノは石牢から出される時に、自然に体が震えてしまいました。

たった1人、心の支えだったお母さんも、お父さんを失った悲しみで、ぼんやりとしています。

それでも、お母さんは、お役人様に頼みました。

「どうぞ、どうぞ娘だけはお許しくだせえ・・・

まだほんの10歳です。

この子だけは、どうぞ、お助けくだせえ・・・」

お母さんは、ひざまづいて、お役人様にすがりつきました。

しかし、そんなお母さんを、邪険に役人は、蹴り上げました。

すっかり痩せて、小さくなってしまったお母さんの体は、石っころのように転がってしまいました。

「お母さん! お母さん!」

カノは、お母さんを、助け起こそうとしました。

すると、お役人は、カノの手を引っ張って、どこかに連れて行こうとしました。

「やめてくだせえ!

やめてくだせえ!

神様、神様、お助けください!

神様あ・・・」

カノの祈りはむなしく、お母さんとカノは、引き裂かれました。

カノは、女たちの目の前に、連れて行かれました。

そして、両手を前につきだすように、指示されました。

小さな両手をおそるおそる前に差し出すと、お役人様は、熱く焼いた火箸を、他の役人に持って来させました。

カノは、自分の身に何が起こるのか、を察しました。

女たちが一斉に、叫び出しました。

「ひとでなしー! 

子どもに何をするの!

地獄におちるぞ!」

「おお・・・神よ、

この者たちの非道をお許しください。

アーメン・・・」

カノのお母さんは、気が狂ったように泣き叫びました。

「お許しください! 

どうかわたしを・・・

わたしをどうとでもしてくだせえ!

その子には何の罪もありはしません・・・

どうか、どうかお助けください!」

お役人は、ニヤニヤしながら、カノのお母さんに尋ねました。

「ならば、転ぶか? うん?」

お母さんは、「おお・・・神よ、

私はどうしたらいいのですか?

どうぞお教えください・・・

神よ・・・」

お母さんは、崩れ落ちるように、へたり込んでしまいました。

カノは、恐ろしさで体がブルブル震え、何も考えられなくなっていました。

いつの間にか、カノは、おもらしをしていたようです。

股の間から、温かい尿が流れて行きます。

「強情もんめが!」

役人は、火箸をカノの小さな両手にじゅっとあてました。

「ぎゃあああああ・・・・・」

カノは、あまりの痛みと、その衝撃に倒れ込んでしまいました。

そして、その時です。

「カノ! カノ! 

転びなさい! 

カノ! 

もういいから、転びなさい!

お役人様!

わたしは、転びます。

宗教を捨てます・・・

うううううう・・・・」

お母さんの悲痛な叫びが、聞こえました。

カノはそれきり、気を失ってしまいました。

気づいた時には、懐かしい家の土間に寝かされていました。

カノは、それまでの石牢生活のストレスと酷いやけどで、何日も寝込んでいたようです。

カノが灼熱の火箸で両手を焼かれたすぐ後、カノのお母さんは転びました。

そうして、2人は長い投獄生活の後、家に帰ることが許されたのです。

目を覚ましたカノは、自分がまだ石牢の中で夢を見ているのだ、と思いました。

というのも、カノは、何度も何度も、実際に石牢の中で、自分の家で目覚める夢を、見ていたからです。

そして、

「ああ、恐ろしい夢だった。

でも、夢で良かった・・・」

と、胸をなでおろしたところで、はっと目覚めることが、よくあったからです。

だから、カノは、一瞬、また、目を覚ましてしまうのではないか、またあの地獄のような1日が始まってしまうのではないか、と怯えました。

しかし、今度ばかりは、本当に家に帰って来られたのだ、ということがわかりました。

なぜならば、目覚めて数秒後、カノは自分の両手に激しい痛みを感じたからです。

その痛みが、これは現実なのだと教えてくれたものの、もう一度気を失いたいほどの激痛です。

カノの小さな両手には、古布がグルグル巻きに巻きつけられていました。

そして、その古布の下の両掌は、大きな水膨れになっており、指の間の皮膚と皮膚が、癒着してしまっています。

「ううう・・・」

カノはうめき声を上げました。

すると、お祖母ちゃんが

「カノ、目が覚めたか?」

と、心配そうな眼差しで駆け寄りました。

「・・・お・・・お母さんは?」

と、カノは聞きました。

カノの質問にお祖母ちゃんは、何も答えず、

「ほら、この薬をお飲み」

と、湯のみ茶碗を、カノの口元に近づけました。

お祖母ちゃんの目には、涙が浮かんでいました。

カノが、お母さんや、良太のことを知ったのは、それから数日も経ってからのことでした。

カノが、ようやく起き上がれるようになってから、お祖母ちゃんは話し出しました。

「カノや、ようく頑張ったなあ。

えれえ子だ。

お父さんも、お母さんも、みんな、天国で喜んどるじゃろうね」

カノは、お祖母ちゃんのその言葉で、お母さんが、神様に召されたことを、はっきりと確信しました。

両手に焼きごてをあてられて、失神したカノを見て、お母さんは半狂乱のようになりました。

「神さまあー、

ああたあ、ほんにみとっとですかあー?

あがんひどかめに、ああたのお子が、あわされとーいうに、ああたは、なんもせんのですかあ?

なんばしよっとですかあー・・・

ざまんなかあ・・・

たいがいにせんねえ・・・

ああたが、うちらを捨てさるなら、こっちから、うっちゃってやる・・・」

お母さんは、半ば意識を失った人のように、フラフラと海の中へと入って行きました。

お役人も、他の信者たちも、呆然として、冷たい海に消えゆくお母さんの姿を、見つめるばかりだったのです。

自らの命を、自らの力によって断つことは、神の教えに反した行為でした。

カノのお母さんは、それをあえて選ぶことによって、神に背いたのです。

お母さんは、誰よりも信仰心が篤く、いつも冷静でした。

だからこそ、この最期の叫びは、他の女性信者たちにも、大きな影響を及ぼしました。

約半数の女性たちが、その日のうちに転んだのです。

「転ぶ」というのは、棄教することです。

カノや棄教した女性たちは、家に帰されました。

しかし、少数の女性信者たちは、依然として、信仰を捨てなかったのです。

彼女たちの多くは、過酷な牢獄生活と拷問に、命を奪われました。

そして、お上の制度が変わる節目まで、奇跡的に生き抜いた少数の信者たちも、家に帰されました。

20.本当の地獄のはじまり

この凄惨な事件は、いったん落ち着いたかのように見えました。

しかし、カノにとって、本当の地獄となるのは、これからだったのです。

カノのお母さんが、最後に叫んだ神に対する不信や怒り、また入水自殺という神の教えに逆らう行為は、多くの女性信者が、棄教するきっかけとなりました。

また、お上にとっても、それまで誰よりも信仰が篤かったカノのお母さんが、棄教したことは、願ってもない好機となりました。

そして、その事件は、運よく踏み絵を免れ、島で信者達の無事を祈っていた、隠れ切支丹たちにも伝わりました。

信者達は、転んだ者たちのことを「裏切り者のユダ」と呼んで蔑んでいました。

小さな島のコミュニティの中で、ユダとなった者は、村八分にされました。

それは、ほとんど社会的な死を意味するほど、残酷なことでした。

カノのお母さんの神を冒涜する叫びと行為を聞いた信者たちの怒りは、大きいものでした。

島の信者たちの家族や親せきは、拷問されても、最後まで信仰を捨てず、凄惨な殉教を遂げたました。

しかし、カノのお母さんの行為は、自分や子どもだけではなく、信者全体の信仰を冒涜したのです。

それまで怒りの持って行き場を失い、必死で信仰にすがっていた信者たちの暗く激しい思いは、一気にカノのお母さんへと向かいました。

信者達は、まず、運よく仏教徒の家に預けられていたカノの弟の良太を、引き取りました。

まだ5歳の良太に、言いました。

「お前はユダの子だ。償え」

そして、良太を洞窟のマリア観音の前でひざまづかせ、神が許してくれるまで、祈り続けることを、課しました。

抗う術も持たない幼い良太は、言われるままに祈り続けます。

しかし、いったい神、がいつ許してくれるのでしょうか?

どのように許したことを、お示しになるのでしょうか?


神は、いつもどおり、無言でした。

そして、良太は祈り続けて4日目に、息を引き取りました。

まるで眠っているかのように、ひざまづいた形のまま、良太は横たわっていました。

しかし、その小さな両手はしっかりと祈りの形に組み合わされたままでした。

血の気を失った薄い頬には、幾筋もの涙の痕が残っていました。

洞窟の中へと差し込む一筋の光が、まるでスポットライトのように、小さな骸を照らしています。

それは、まるで物言わぬ神からの温かな祝福のようにさえ見えました。

その圧倒的な神聖さに、言葉を失った信者達は、皆、良太の亡骸の前にひざまづき、涙を流しながら祈りました。


カノの体は、少しずつ回復してきました。

でも、カノの心は、元には戻りませんでした。。

カノは、自分の両手を見るたびに、自分が以前とは、違ってしまったことを、痛感させられます。

カノの両手には、火箸をあてられた酷いやけどが、ケロイドとなって残っています。

両の手の人差し指から、小指までの4本の指は癒着し、そのまま固まってしまいました。

だから、カノの手は、ちょうど棒手袋をはめたような形になってしまったのです。

やけどを負って、すぐに適切な治療を受けられていれば、痕こそ残りはしても、5本の指は、元通りに動いたことでしょう。

指が癒着したのは、カノが、火箸をあてられて、失神した時、あるお役人が、情けをかけ、せめてもと、焼けただれた両手に、油を塗って、布でグルグル巻きにしてしまったからでした。

しかし、それを、誰が責められるでしょうか?

カノは、まだ11歳になったばかりでした。

しかし、心はまるで、枯れ枝のように、乾ききっていました。

冷たい海水にさらされて、もがき苦しみながら、お父さんは、殉教。

誰よりも信仰心が篤く、夫が拷問死した時でさえ、棄教しなかったお母さんが、選んだ最期。

石牢の中から見た、信じられないような光景の数々が、カノの心を固く凍りつかせていました。

そんなカノの心が変化したのは、お祖母ちゃんから、弟の良太の最期を聞いた時でした。

良太は、甘えん坊で、いつもお母さんか、お祖母ちゃんの布団にもぐり込んでいました。

鳥や動物が大好きで、自分の食事を、こっそり分け与えていた良太。

お姉ちゃんといつも一緒にいたくて、遅れながらも、必死で遊びについて来た良太。

カノが、お父さんに叱られて、外に出された時に、泣きながら、お父さんに謝ってくれた良太。

良太がいない・・・

まだ、たった5年しか生きていない、私の弟。

何にも悪いことなんかしていないのに、大人たちに囲まれ、憎まれ、蔑まれ、親の罪を全て背負わされた子。

そもそも、お母さんに、罪があったのか?

神を心から信じ、その教え通りに生きた母は、最期に何を考えたのだろう?

親しい仲間たちが痛めつけられ、夫が海の中に磔にされた挙句殺され、しまいには、幼い娘のカノまで残虐に拷問を受けた。

母は、いったい何度、神に助けを求めたことだろう?

何度、助けを求めても、奇跡は起こらず、ただ愛するものたちが傷つけられ、命を落としていく現実に、母の心は壊れてしまった。

その母は今、パライソ(天国)ではなく、地獄にいるという。

母は泣いているだろうか?

後悔しているだろうか・・・

おそらく母は、泣いているだろう。

しかし、それは、自分が地獄に落とされたからではない。

母は、私や良太を思って、泣いているだろう。

カノは、幼いながらも、感じていました。

父や母が、自分の信仰を守るために、殉教したり、はたまた棄教したりしたことは、悲しいけれども、いたしかたないことだ、と。

しかし、しかしだ。

良太は違う・・・

まだ何もわからない幼児である。

そんな幼児に、信仰者たちは、何を求めたのか?

信者たちが、良太にした仕打ちの意味を、カノは、本能的に感じていました。

それは、信仰とはまったく別の、人間が持つ、暗く汚い、ドロドロとした部分。

動物や、幼い子どもにはない、大人になった人間だけが持つ、決して表立っては見せたくない、そして、認めたくない闇の部分。

良太は、信仰の証明のために、死んだのではない。

人間の怒りの矛先の犠牲になったのだ。

今、カノの心に、神に対する信仰は、ありませんでした。

しかし、母親のような怒りもなかったのです。

なぜならば、カノは今、神の存在を信じてはいなかったからです。

島の中では、カノとお祖母ちゃんは、裏切り者のユダの家族として、冷たくあしらわれていました。

「カノや、恨んだらいかんよ。

これも、みんな神さまが決めたことさね」

と、お祖母ちゃんは、悲しい顔で、カノに、いつも言い聞かせていました。

そんなある時、これまでの心労が祟ったのでしょうか・・・

お祖母ちゃんが、倒れました。

カノは、急いで、島でたった1人のお医者さまの所へと走りました。

ドンドンと、診療所の戸を叩くと、お医者さまの奥さんが、顔を出しました。

「お祖母ちゃんが・・・

お祖母ちゃんが・・・

倒れて・・・

先生を呼んでくだせえませ・・・」

お医者さまの奥さんは、カノをちらりと見下げて、

「ユダを救う義理はなかよ」

と、戸をぴしゃりと閉じてしまいました。

カノは、どうしていいか、わからなくなりました。

だから、まずお祖母ちゃんのところへ戻り、お布団に寝かせようと、思いました。

カノが家に戻ってみると、お祖母ちゃんは、台所で倒れたままでした。

「お祖母ちゃん、

お祖母ちゃん、

大丈夫?

今、お布団敷くからね」

カノが立ち上がろうとすると、お祖母ちゃんの手が、カノの手を握りました。

「カノや、祖母ちゃんになんかあっても、だあれも恨んだらいかんよ。

祖母ちゃんはパライソに行くんだからね」

と、言いました。

カノは思わず

「ばあちゃん、パライソなんかなかとよ。

あんなんいかさまとよ。

死んだらいかんよ。

死んだらいかんよー」

と泣きながら、言ってしまいました。

お祖母ちゃんは、哀しい目をして、カノを見上げました。

お祖母ちゃんは、それから三日間寝込んで、静かに息を引き取りました。

カノは、良太が預けられていた仏教徒のお家まで行き、事情を話し、お祖母ちゃんの弔いを手伝ってもらいました。

島の人たちは、1人も訪ねて来ませんでした。

お祖母ちゃんが死んで、カノは独りぼっちになりました。

仏教徒のお宅が、カノを引き取ると言ってくれました。

しかし、カノは、もう少し自分の家で、過ごしてから行く、と返事をしました。

カノの心は、空っぽでした。

唯一生き残った祖母までが、ユダの家族だと言われ、治療をしてもらえませんでした。

お祖母ちゃんは、神を裏切ってなどいない。

それなのに・・・

けっきょく、神さまを信じていたから、

お父さんも、あんな目に遭った。

お母さんは、自ら死を選んだ。

良太は、信者達の悪意によって殺された。

そして、今度はお祖母ちゃんまでもが・・・

カノは、あることを決意していました。

お父さんも、お母さんも、お祖母ちゃんも、誰よりも、神を信じていたのに・・・

神はお救いにはならなかった。

いいえ、お父さんやお母さん、お祖母ちゃんは仕方がない。

大人なのだから。

拷問を受けることを、喜びとして、死んでいったのだ。

でも、でも・・・

良太はどうなのだ。

まだ、幼い良太。

良太が何をしたと言うのだろう。

神を裏切ったわけでもなく、誰を傷つけたわけでもない。

それどころか、幼くして両親を殺され、その挙句に、仲間である信者達の歪んだ思いの犠牲にされてしまった。

カノはある日、お役所を訪ねました。

お役所で、カノは、石牢の見張り役だったお役人さんを見つけました。

そして、しっかりとした歩みで、近寄って行きました。

その姿は、あまりにも凛としていました。

周囲にいたお役人たちも、唖然とカノを見守るばかりでした。

石牢の見張り役だったお役人さんには、ちょうどカノと同じ年位の子どもがいました。

だから、何かとカノを不憫に思ってくれていたのです。

カノが、見せしめに、火箸を両手にあてられ、大やけどをした時に、すぐに不器用ながらも、手当てをしてくれたのも、このお役人さんでした。

お役人さんは、カノを見つけると、おやっという顔をして、カノの方に近寄って来ました。

「なぜまたこんなところに来たのだ! 

すぐに帰りなさい!」

と、お役人さんは内心、カノのことを心配して、怒鳴りました。

カノは、まっすぐにお役人さんの目を見つめながら、言いました。

「今晩9時に東の鍾乳洞で、切支丹の会が開かれます。

お役人様、どうか隠れ切支丹を、捕まえてくだせえ」

何とカノは、信者達の隠れミサを密告したのです。

そして、くるっと踵を返すと、カノは一目散に走り去りました。

当然ながら、島の隠れ切支丹たちは、カノの密告によって、大勢検挙されました。

カノは、信者たちが、みな一列に縄につながれ、涙を浮かべながら、連れて行かれる様を見ていました。

それからカノは、信者達が去った後の洞穴に入り、マリア観音の前に膝まづき、

「私はユダになりました。

どうぞ地獄に落としてくださいまし・・・」

と祈りました。

そして、静かに立ち上がり、岸壁にゆっくりと登って行きました。

岸壁から見下ろす海は、いつもどおりに青く、どこまでも深く、波はとどまることなく寄せては返しを繰り返しています。

「海も空も、波もカモメも、風も、なんも変わんねな・・・」

カノはそう呟いて、ゆっくりと海へと落ちて行きました。

こうして、孝光さんの前世の人格である、少女カノの短くも、壮絶な人生は、幕を閉じました。

孝光さんの頬には、何筋もの涙の痕が光っています。

中間世にたどり着いたカノを迎えてくれたのは、大きな光でした。

「ああ・・・

あったかい・・・

あっ、お父さん!

お母さん!

良太!

お祖母ちゃん!」

カノの家族たちは、全員そろって、カノを温かく迎えてくれました。

ようやくカノたちは、また1つの家族に戻れたのです。

私は、カノの魂に、聞きました。

「あなたたちは皆、神のもとに召されたのですか?」

すると、カノはちょっと首を傾げてから

「いいえ。神はここには居ません。

でも、私たちにとっては、ここが神の御心なのです・・・」

と答えました。

カノから、今の自分である孝光さんへのメッセージは、以下の通りでした。

「私は、神を信じることができなかった。

でも、1番信じられなかったのは、人間です。

同じ人間同士が、自分とは考え方が違うからと言うだけで、傷つけ合う。

そして、時には、同じ心を1つにした者同士が憎しみ合う。

そんな人間が、なによりも恐ろしく、忌まわしいものだ、と感じたのです。

あなたは、そんな私の心のエネルギーを、たくさん感じて、生きてきたようです。

でも、あなたなら、わかるでしょう・・・

私は、まだ幼くて、いろいろなことがわからなかった。

でも、あなたはもう大人でしょう。

人間は弱い者なのです。

だから、傷つけ合うし、憎しみ合うのです。

でも、それは間違っています。

自分と、考え方や、信じるものが違うからといって、誰かが、誰かを、傷つけてはいけないのです。

自分よりも、弱い者を、痛めつけてはいけないのです。

子どもや、動物たちは、みな弱い者たちです。

力や、権力を持つ強い者たちが、弱い者たちを痛めつける時、彼らの心が汚れます。

彼らは、自分で自分の魂を、汚しているのです。

だから、あなたは、自分が、もしも、傷つけられた時にも、誰かを傷つけようとはしないでください。

誰にも見つからないと思っていても、自分の魂には嘘をつけないものです。

自分だけを愛してはいけません。

自分の心だけが、癒されれば良い、と思うのは傲慢です。

自分をどれだけ犠牲にして、弱きものに分け与えられるのか、を考えてください。

魂は永遠です。

そして、誰にもわからない、と思っていても、みんながわかっています。

どのように生きたのかを。

自分が満たされるためだけに生きたのか、他者も満たされるように生きたのかを」

カノからの静かで厳かなメッセージでした。

(つづく)